バイバイ原発・京都 のブログ

バイバイ原発・京都 のブログです

【中日新聞・社説】 「ドイツ なぜ変われたか 原発から再生エネへ」

中日新聞・社説】

ドイツ なぜ変われたか 原発から再生エネへ
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2011110402000007.html

2011年11月4日

 福島第一原発の事故のあと、ドイツは原発推進から脱原発へ再転換の舵(かじ)を切った。なぜそれができたのか。環境政策をリードするフライブルクで考える。

 ドイツ南西部、人口二十二万人のフライブルク市は、「環境首都」の異名を持つ。福島の事故直後、脱原発を唱える緑の党が最初に躍進し、連邦政府の政策転換に大きな影響を及ぼしたのも、フライブルクのあるバーデン・ビュルテンベルク州だった。

 エネルギー地産地消

 中央駅から徒歩三分、文豪ヘミングウェーも泊まったホテル・ヴィクトリアは、「世界一環境にやさしいホテル」と呼ばれている。

 三代目経営者のシュペート夫妻が二酸化炭素(CO2)の排出ゼロを目標に、自然エネルギーの自給自足を進めているからだ。

 屋上には太陽光パネルを並べ、その下にコケを敷いてある。その他に風車が四基、郊外の風力発電基地にも投資して、電力と配当金を手にしている。地下には、木質廃材を燃やすバイオマス温水器を設置、温水と地下水を循環させて、客室の温度を調節する。

 シュペート夫妻がエネルギー自給を志すきっかけは、青年期に取り組んだ反原発運動だ。

 一九七〇年代初め、約二十キロ北西のライン川沿い、ヴィールという土地に、連邦政府などによる原発計画が持ち上がるまで、フライブルクも普通の地方都市だった。

 川べりのワイン農家が起こした反対運動に、多くの市民が共鳴し、大小の市民集会や抗議デモが頻発する事態になった。原発計画は凍結された。そして、この時の議論の中から「反対だけで終わらせるべきではない。代替案が必要だ」という意識改革が始まった。

 決定的な変化をもたらしたのは、八六年のチェルノブイリ原発事故だ。その放射能は、風向きとたまたま降った雨の影響で、千二百キロ離れたドイツにも飛来した。

 危機感をバネにして

 かつて東西に分断され、米ソ冷戦の最前線にあったドイツには、核への恐怖が根強く残る。危機感が、脱原発、エネルギー地域自給へ背中を押した。市当局はその年に、エネルギー源の地域分散や自然エネルギーの普及を図る、独自のエネルギー供給基本プランを打ち出した。環境首都は脱原発の結果である。

 フライブルク市などでつくるバデノヴァ・エネルギー供給会社は福島の事故のあと、エネルギーの地域自給を効率良く進めるために、スマートグリッドの本格的なモデル事業を開始した。約二千五百の供給元から仕入れる自然エネルギーの供給量と管内の需要をコンピューターで調整し、電力をバランス良く送り出す。

 なぜ、ドイツでは脱原発が進むのか。危機感とともにかぎになるのは「自治」の強さである。

 現地の人に「原発が怖いですか」と尋ねると、「フクシマの国のあなたは、なぜ怖くないのですか」と問い返された。

 市内では「ATOMKRAFT? NEIN DANKE(原発はいらない)」と書かれた黄色い旗が目立ち始めた。原発によるフランス産の電気を選ぶこともできるのだが、ほぼ全量を自然エネルギーで賄うバデノヴァ社のシェアは九割ともいわれている。

 放射能への危機感と情報を市民と行政、そして企業が自治体レベルで共有し、町内会や学校などでも回避のすべを話し合い、エネルギーの地産地消をめざしている。

 自治体がエネルギー自給を志向するから、後押しをする連邦政府の施策が生まれ、活用される。

 メルケル首相の諮問した原発問題倫理委員会は、原発事故の危険はあまりに大きく、放射性廃棄物の処理は困難、従って原発は倫理的ではないとして、脱原発を答申した。自らの地域と家族を守り、平穏に暮らしていきたいと願う市民の立場に立てば、ごく自然に導き出される結論に違いない。

 日本では、大電力会社の地域独占が長年続く中、電気とは街から遠く離れたどこかで、だれかがつくってくれるものだとされてきた。そのために、この期に及んで被災地と立地地域以外では、原発に対する危機感がまだ足りない。

 日本にもできること

 ドイツでは、日本の落語や歌舞伎のように、哲学や倫理が日常の中に溶け込み、重んじられている。欧州連合(EU)と直接交渉ができるほど、自治体の力が強い。国情には大きな違いがある。

 しかし、持続可能で豊かな社会を維持するために、電力などエネルギーのつくり方、使い方の大変革が必要であることは、先を行くドイツも、あとを追おうとする日本も変わりなさそうだ。目標をかたちに変える力なら、この国は決してひけをとらない。