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【転載/JANJAN記事より】 「バイバイ原発・京都デモに1000人」

『JanJanBlog』より「バイバイ原発・京都デモに1000人」の記事を転載します。早速の記事化、堀内様、ありがとうございました!

 管理人

掲載元サイト
http://www.janjanblog.com/archives/44518


バイバイ原発・京都デモに1000人

2011年 6月 26日 20:13《京都》

堀内隆喜

6月26日午後、京都の自然環境や安全食品供給の団体や原発なしで暮らしたい人などが一堂に集って主催した「放射能はごめんだ!バイバイ原発・京都パレード&デモ」が京都市下京区梅小路公園で開かれた。正午から13時30分まで手作り広場には12のブースがそれぞれの活動するポスターや本、食品の他、一人でできる脱原発アクション、太陽光発電の展示など原発をなくしたり行動する輪が広がった。


ビン回収でペットボトルもバイバイと訴えるブース

また、12時からのミニコンサートには40年以上も反原発活動を続けその歌を歌い続ける古川豪さんや平和などの歌を多く発表してきた家族バンドなどが会場を盛り上げていた。反原発ソング「原発に未来なし」を30年前につくり、この日にも披露した古川さんは「30年も歌い続けた結果がこうなってむなしさでいっぱいです」と無念さをにじませていた。

続いて環境問題をテーマに活動する石田紀郎さん、高浜原発から10キロ圏内に住むカナダの陶芸家トレーシー・トーマスさん、福島飯館村有機農業家村上真平さん、お母さんネットワークの松本愛さんがそれぞれの立場からスピーチをリレーした。

トレーシーさんは「事故当日自国に滞在していたが、帰国して日本人の原発認識が大転換していた。しかし、現在でも日本人はおとなしすぎるのではないか。今が変えるチャンス」と強くアピールした。

村上さんは地震当日の模様、翌日の気持ちそして三重県に避難した無念さを淡々と話した。しかしその言葉の端々に「有機農業」という仕事を離れざるを得ない無念さが伝わった。


関西電力京都支店前(右のビル)でこぶしを突き上げるデモ参加者たち

この日は福島県の「グッバイ原発!サヨナラ放射能!!福島行動10000人ハンカチパレード」に合わせての集会とデモであることを紹介した司会者が福島県からのママさんのメッセージ「窓が開けれない、子供を外で遊ばせられない、洗濯物を太陽の下で干せない」を紹介すると思わず涙ぐんでしまうという風に気持ちがストレートににじみ出たトークともなった。

14時主催者は700人での規模のデモになりますと発表した。1000人以上の参加者を見込んだという。デモは公園から七条新町〜塩小路通り関電京都支店前、京都駅前、烏丸通り、東本願寺前というコースで行われた。記者は先頭、中団、後方を行ったり来たり取材したがその列は交通整理する警察官にほぼ3隊列に分けられていた。しかし規模は大きくなり最後には1000人(主催者発表)にまで膨れ上がったことが実感できるものとなった。


参加者の工夫あふれる横断幕が多い(原発なしで暮らしたい丹波の会)

関西電力京都支店は京都駅の烏丸側市バス停留場の西南にあり、この日は全く人影がなかった。福井県に多くの原発を持つ企業でもあるにもかかわらず市民の意思には全くの無表情と言ったところだろうか。デモの参加者たちはこの無表情のビルに向かってこぶしを突き上げて原発廃炉などの訴えに声を枯らした。これまでも市民を相手にしない高め目線の電力会社は安全宣言の嘘がばれてからといううものの、電力不足による節電などをPRしだした。しかし電力が充分にある方法や他のエネルギーに対して良く勉強している市民はこの無表情ビルにも臆することもない。今までもそうであったからだろう。しかしこの声を無視できないことを知ることこそが電力企業の生きる道なではないか。

デモには年齢層は全く関係なく子供連れの母親から中年の男女、60歳以上の男女も多く独自のプラカードや幟、横断幕での参加に加えて各グループの旗が風になびいてのものとなった。また最後尾を受け持った音楽パフォーマンスがデモの広がりを象徴するものとなったようだ。


デモに音楽が入ると楽しく参加できる。東本願寺前付近

堀内隆喜記者のプロフィール

京都在住。京都の伝統行事、文化、風景を発信。主に写真撮影取材で市内を動き回る。京都の最新写真ニュースはhttp://kyopht.staff-forone.com/ でご覧下さい。なおアーカイブhttp://kyoto-shashin.blog.so-net.ne.jp/ をご利用ください。