バイバイ原発・京都 のブログ

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【転載/JanJan記事より】「学生が、子育てママがそして中高年も脱原発デモ2日目-京都」

【転載/JanJan記事より】
学生が、子育てママがそして中高年も脱原発デモ2日目-京都
http://www.janjanblog.com/archives/49970

2011年 9月 12日 00:56 《京都》

堀内隆喜


京都市内で10日の組織的なデモに続いて、11日には個人個人の呼びかけに応じて集った脱原発の声を上げるデモが1日中続いた。12時にツイッターフェイスブックで声を掛け合った学生の100人が第1陣をきった。続いて14時市民運動を展開する50以上の団体とそれに応じた個人が集まってきた。そして17時京都駅前の関電京都支店前に「11日(原発事故日)」にこだわる中高年中心のメンバーが役員に面談を求めて声からした。


丁寧な作りプラカードでデモする学生たち(撮影:12時30分御池寺町、堀内隆喜)

京都市内の学生たちが反原発の産声を上げた。目の前の就職活動が気になって「学内は原発事故への関心度は無関心の方が多いのではないか」というのは京大生。そんな中で8月11日に第1回の実行委員会を開催して以降デモの仕方、どんなビラ・チラシを作るかなどを話し合い「原発ゼロ社会をめざして」という33000字にも及ぶ論文完成させたという。この学生たちの真摯な気持ちはプラカード1枚1枚が丁寧な作りに表れていたり、デモの仕方まで学ぶというういういしいものに見えた。
この日は出発時間には100人の人数となった。市役所前-烏丸御池-四条河原町-河原町三条-三条川端-四条川端-円山公園というハードなデモコースを選択して、結果京の中心街を1000枚以上の論文を要約したチラシを渡し終えた。


懸命に脱原発を訴える参加者(撮影:14時河原町御池)

上記学生たちがデモ最終地点とした円山公園しだれ桜下には13時過ぎからポツリポツリと人が集まりだした。京都随一の夜桜の広場であるので桜の木が覆いその人数たるや確認するのは難しい。前日の音楽堂の集会のように組織的な動員はなくあくまで個人の意思による集会とデモだ。音楽堂でNGOeーみらい構想の長谷川さんは「誰でもいつでもデモに入れる形をめざす」と挨拶して拍手を受けていた。その通り桜の木に隠れるようにして子連れの夫婦が、ぬいぐるみの数体が、そしてラップや踊りをするメンバーが集まった。14時46分黙とう。記者は祇園石段下の交番前で撮影を始めたがその数の多さに驚いた。6・11や6・29の京都の市民デモをはるかに超える人数に膨れ上がっていた。結果主催者も正確な参加者を特定できない様子だったが1800人位だったようだ。とくに子育て中のパパやママの参加が多かった。この日のデモは祇園-四条河原町-市役所前という京都市内デモ行進の定番コースを歩いた。


関電京都支店前でアピールする参加者(17時20分撮影)
*ATTAC京都グループが写っていました。「原発の無い世界は可能だ!」のATTAC旗を持っているR・Mさん、ハンドマイクで訴えるK・Mさん、そして右手でチラシを配布しているのが管理人(引用者註)

原発事故の翌月から「11日の14時46分」にこだわった「脱原発」の要求を関電京都支店前で始めた人がいた。最初は一人、翌月10人そして翌翌月30人。今月は市民デモ参加のため17時からの行動となった。脱原発の横断幕を支店前の入口近くに広げ、道行く人にチラシを配る。歩道の向う側では「原発の質問書を手渡し回答を求めています。フクシマは他人事ではありません。若狭の原発は世界に例のない極めて特異なものです」と淡々と訴える。この日は集った一人ひとりがなぜ原発かと問いかけてマイクを握る。30人くらいだろうか。提唱した槌田劭さんは「面談できるには関電を多くの人で取り囲むしか方法がないのではないか」と訴えている。関電は市民の「要求・要望」という点には完全に無視するのだろう。


堀内隆喜記者のプロフィール

京都在住。京都の伝統行事、文化、風景を発信。主に写真撮影取材で市内を動き回る。京都の最新写真ニュースはhttp://kyopht.staff-forone.com/ でご覧下さい。なおアーカイブhttp://kyoto-shashin.blog.so-net.ne.jp/ をご利用ください。