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【「再会した友だちに「ごめん」と謝る子ども」】 こんな「絆」はいらない 福島に漂う「逃げる」ことを許されない空気

【Japan Business Press】 こんな「絆」はいらない 福島に漂う「逃げる」ことを許されない空気
(記事掲載元サイト:http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34462

2012.02.08(水)

前屋 毅

福島県川内村の遠藤雄幸村長が1月31日に行った「帰村宣言」には違和感を覚えざるをえない。

 2011年3月11日の東京電力福島第一原子力発電所の事故によって、川内村は「緊急時避難準備区域」に指定され、村民のほとんどは福島県内外に逃れた。その村民の帰村を促すのが宣言の目的であり、4月1日には村役場のほか、保育園や小学校、中学校、そして診療所も再開させるという。

 遠藤村長の帰村宣言には、村人も複雑な心境を隠せない。放射能被害への懸念が消えたわけではないため、宣言直後のマスコミ取材に対し「帰村しない」と答える小さい子どもを抱える親たちの姿が印象的だった。

 村民の不安が消えていないことを遠藤村長も自覚してか、宣言するにあたっては、「帰村しない人の意思も尊重する」とも述べている。ただし、「除染しながら2年後、3年後に村民がわが家に戻れるようにしたい」とも続けて語っている。帰村を大前提にしていることは明らかだ。

「一時的でも避難すれば戻ってこられなくなる」

 この帰村宣言は、村民にとって帰村という「重し」をつけられたようなものではないだろうか。

 原発事故が発生した直後、東京に本社を置くある大手企業は、福島県の事業所の従業員と家族を東京に避難させる処置を取った。事業所のある地域が避難区域に指定されたわけではなかったが、放射能に対する懸念が強く、そこで本社が決断したのだ。

 ところが、対象となった従業員とその家族の半分も避難しなかった。その企業の社員が語った。

 「避難したくなかったわけじゃないんです。強い不安がありましたから、できるなら避難したかった。しかし、避難できなかった」

 その理由を、社員は続けて説明した。

 「住んでいる場所が避難区域に指定されたわけではないので、大半の住民がそのまま残っていました。そうした中で自分たちだけ避難すれば、周りから白い目で見られかねない。ある女性社員は、『一時的でも避難すれば戻ってこられなくなる、と親が心配しているので避難できません』と言っていました」

 地域には、「仲間意識」がある。もちろん、良い意味での仲間意識もあるが、そうでない仲間意識も存在する。

 皆が避難できない中で、自分だけ避難することは仲間に背を向けることになる。裏切りであり、それを許さない雰囲気があるという。許されない立場に身を置きたくないがために、「避難したい」と思っていても避難できなかったのだ。

再会した友だちに「ごめん」と謝る子ども

 そうした雰囲気は福島県全体にあるような気がする。福島で取材していると、「逃げる」という表現をよく耳にする。「うちの近所にも逃げた人はいたよ」とか「逃げたいけど先立つもの(カネ)がないからね」といった具合だ。

 「逃げる」が「避難する」という意味に使われているのだ。それは「放射能から逃げる」という意味でもあるのだろうが、多分に「仲間をおいて逃げる」というニュアンスを含んで使われているように感じた。

 大人だけではない。子どもの社会でも「逃げる」という表現が使われている。小学生の子どもを持つ父親が語った。

 「一時避難していて学校に戻ってきた子どもが、まず友だちに言うのが『ごめん』なんだそうです。避難していた子を『あいつは逃げた』と、うちの子も普通に言います」

 露骨なイジメがあるわけではない。「逃げた」と言う方も、あからさまな敵意があって言うわけでもない。

 しかし、そこに「陰湿な空気」を感じないわけにはいかない。それがあるからこそ、戻ってきた子どもがまず口にするのが「ごめん」なのだ。

 「友だちを残して自分だけ逃げてきた、という気持ちを子どもは持っています。それに苦しんでいます。だから、『帰りたい』と何度も何度も言うんです」。子どもを避難させて、自らは福島に残っている父親はそう言った。避難した子どもも、避難した先で「ごめん」という気持ちに苦しんでいるのだ。

 こんな空気があれば、大人も子どもも簡単に「逃げる」ことなどできるはずがない。放射能の影響に不安を抱きながらも留まることを選択せざるをえないのだ。

 川内村の帰村宣言も、「村人は帰村すべきだ」と言っているにほかならない。そこには「村人は帰ってくるべし」という姿勢が貫かれている。それで帰る村人が出てくれば、帰ることをためらっている村人を「逃げた」と見る空気が大きくなっていくに違いない。それは、村人にとって大きな負担としてのしかかってくることになるだろう。

除染をしても不安は取り除けない

 不安がなければ、逃げることを選ぶ村民はいないはずだ。逃げた、と重くのしかかる空気も生まれないに違いない。そういう空気が生まれるのは、大きな不安があるからだ。

 その不安を払拭すべく川内村をはじめとする行政が強調するのが「除染」である。2012年1月1日、「放射性物質汚染対処特別措置法」(除染特措法)が施行された。これによって福島第一原発から半径20キロ以内の立ち入り禁止区域は国が作業を行い、それ以外の福島県内については各自治体が作業を行い、予算は国が負担する形で除染作業が行われることになった。

 川内村でも、4月に再開を予定している保育園や小学校、中学校に通う子どもたちがいる家については3月末までに除染作業を終える、と発表している。除染によって家もきれいになるから帰ってこい、というわけだ。

 しかし、その除染作業を全面的に信用していいのかどうか、はなはだ疑問なのだ。すでに福島市では除染作業を始めているが、市役所の担当職員は次のように語った。

 「原発事故後には強い雨が何度も降りましたが、それでも屋根瓦に残っている放射性物質は、除染作業の中心となる高圧水洗浄でもきれいにすることは難しい。さらに、山とか周囲から雨などで流されてもきますから、1度の作業できれいになるとは言いにくい。同じところを何回もやらなければならないと考えています」

 一度、除染作業をやったからといって、それで安心と言える状況ではないのだ。川内村村長は、除染をやるから帰れという意味合いのことは言うが、その除染の限界性までは言及していない。

 帰れという姿勢だけが先行し、それに邪魔になることからは目を背けていることになる。そして、逃げることに後ろめたさを感じて、村人は帰っていかざるをえなくなるのだろうか。

「絆」の強調がつくり出した空気

 放射線の影響については、意見がまっぷたつに分かれているのが現状だ。どちらの側も、その主張を客観的に、そして科学的に立証できていないのは事実だ。

 そうであれば、現在の状況では、不安が残る場所へ帰るべきかどうかは村人個人の判断に任せるしかない。福島県民が県内に残るかどうかの判断も、同じく個人に任せるべきである。「帰る」や「帰らない」だけでなく、「逃げる」についてもサポートすべきだ。現状は「逃げる」について行政の対応は冷たい。これでは、どうしても不公平である。

 それには、「逃げた」という言葉が使われるような空気をなくす努力こそが先決だろうと思われる。安心というイメージだけを強調し、それに反することは「風評」として批判する姿勢は改められなければならない。

 原発事故以来、「絆」が最重要視されるようになった。言うまでもなく、絆は重要なポイントである。しかし一方で、絆の強調は「逃げる」ことを許さない空気をつくり出してしまっているのではないか。

 そうした絆のために、不安を抱えながらも留まっている人がいるとすれば、それはマイナスでしかない。絆がマイナスに作用している現実も、わたしたちは目を背けず、直視すべきではないだろうか。