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【噴出する「原発防災」計画の矛盾②】玄海原発事故 その時避難整然? 防災訓練浮かぶ疑念 「住民たちは「事故が起きたら逃げ道がなく終わりばい」と口をそろえた」「県幹部も「訓練想定を細かくすればするほど避難の無理さが明らかになる」と認める」

朝日新聞・長崎版】その時避難整然? 防災訓練浮かぶ疑念
http://mytown.asahi.com/nagasaki/news.php?k_id=43000001111220007

2011年11月21日


1次避難所に到着し建物内で放射線量の検査を受ける住民=松浦市志佐町の市立武道館

 原発事故に備えた県と松浦市による20日の原子力防災訓練は、九州電力玄海原発佐賀県玄海町)から最短8キロの鷹島と同12キロの黒島から、島外の避難所へ住民を移動させる初の試みだった。事故が起きたら、海や橋、県境をまたいでの避難は整然と進むのか。課題ごとに点検した。

 ◆狭い山道一つ

 陸路の避難ルートは鷹島肥前大橋を経由して、松浦市本土の市立武道館(原発から22キロ)を目指す。幅の狭い県道・国道をうまく移動できるかが課題だ。

 午前9時半過ぎ、島内5地区の計約20人の住民が乗るバスは大橋を渡り、佐賀県唐津市に入った。カーブが多い片側1車線の山道を進む。地図を見ると、迂回(うかい)路はなさそうだ。

 住民たちは「事故が起きたら逃げ道がなく終わりばい」と口をそろえた。「佐賀県側からもマイカーの避難者が来る。渋滞で動き切らん」。この日は渋滞なく75分で避難所に着いた。目標より15分早かった。

 ◆荒波でも小舟

 離島に不可欠の海路避難ルートは天候に左右される難点がある。今回は(1)黒島の住民3人が渡船で鷹島・床浪港へ(2)鷹島の住民27人が合流、海上保安部の巡視艇で伊万里湾対岸の今福港へ――の2段階で進んだ。

 やや波風はあったものの、出発から約1時間半で避難所に到着した。黒島から避難した金井田成人さん(56)は、島には漁船2隻のほかは全長数メートルの小舟しかないのが気がかりだ。「小舟じゃ、荒れた伊万里湾を渡るには心もとない。事故になってすぐ必要なだけ船が集まるのか」

 ◆次の逃げ場は

 放射線量の測定や除染を行う避難所は、従来の鷹島の島内施設から、より原発から離れた松浦市立武道館に移された。

 県は地域防災計画の見直しの中で、原発事故の影響が拡大した場合、住民避難の範囲を原発の30キロ圏まで拡大する考えだ。この場合、原発から22キロのこの避難所も、松浦市外に設ける2次避難所にまた移すことになる。具体的にどこかは未定だ。

 石材工の40代の男性は「ここまでの避難で、高齢者や子どもはくたくたになるはずだ。受け入れ先も確保できていない中で、本当に30キロ圏外へ逃げられるのか」と話した。

 ◆危うさ強いる原発

 県が改訂中の防災計画は、最終的に原発の半径30キロ圏の住民6万2千人を避難させる。本当に動かせるのか。疑問を胸に鷹島から避難バスに同乗した。

 避難路の渋滞や避難船の調達など、危うさが次々と浮かび上がった。県は今回の訓練を「課題の洗い出し」というが、50人の避難訓練から、その約1200倍の人たちを動かす道筋は率直に言って見えない。

 同行した石材加工業の男性は「全島避難は正直無理」と言い切る。県幹部も「訓練想定を細かくすればするほど避難の無理さが明らかになる」と認める。

 現実には難しい避難計画づくりを地域に強いる存在。それが安全神話の崩れた原発のもう一つの顔なのだ。(渡辺洋介)