バイバイ原発・京都 のブログ

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【12/10原発ゼロ・ 京都アピール講演会】400名が来場!安斎育郎×飯田哲也×大島堅一&長谷川羽衣子(笑) 長谷川さんの講演内容です

「バイバイ原発・京都」の長谷川さんからのフェイスブックへの投稿を転載いたします。フェイスブック上でも実際に参加された方からも大好評のお話でした。この講演を聴いてバイバイ原発への参加を希望する学生さんが何人も出てきたとのこと。若者が若者を立ち上がらせるのはいつの時代にも普遍的な真実です。

 管理人

(以下、転載)

【12/10原発ゼロ・ 京都アピール講演会】400名が来場!
安斎育郎×飯田哲也×大島堅一&長谷川羽衣子(笑)


(写真:右端が「バイバイ原発・京都」の長谷川羽衣子さん)

デモと連続して開催された講演会は、400名もの参加があり盛況でした。
私も3人の重鎮とご一緒するので、着替えを持って行ってたのですが…
私「着替えてきます」 先生方「そのままでいいじゃない」
異口同音(ホンマ)に言われ、なんとミニスカサンタのまま登壇することに(笑)
一応ジャケットを羽織ってはいたのですが、始まってすぐ安斎先生に「長谷川さんがサンタで目立ってるから、私も負けちゃいかんと上着脱いだ」と言われたので、私も対抗してジャケット脱ぎました。後で写真を見ると、明らかに浮いてる…(笑)
以下、簡単に講演内容を記します。


(よく見ればこの左端のサンタさんが長谷川さんでした。米国でのオキュパイ運動でも大量のサンタさんが反格差で街頭に登場しました。とにかく多くの人が注目するアピール形態を模索するこそが重要です)


(写真:NYのタイムズスクエアに数千人のサンタ、格差是正の訴えも)
出所:http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPTYE7BB03R20111212

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今回の講演会は、お話を頂いた時から何を話すかとても悩みました。重鎮の先生方に混じって、私に何が話せるのか?色々考えた結果、私たちが今まで取り組んできた活動、特にデモに関してお話することにしました。

「デモには意味がない」、「デモでは世の中変わらない」というひともいます。しかし現在、市民が直接意志を示す方法は、選挙かデモ、署名くらいしかありません。イタリアで行われたような「国民投票」制度は、今まさに実施を求める署名が行われている最中で、大変期待をしていますが、実現にはもう少し時間がかかるでしょう。
脱原発再生可能エネルギーへのシフトを決断した「エネルギー先進国」としてしばしば取り上げられる、ドイツなど欧州各国でも、エネルギー変革の折には各地で大きなデモが行われ、それによって世論と政治が動いた事実があります。

日本でも3.11後各地で何度もデモが行われ、そのいくつかは、かつてない程の規模でした。しかし、デモの多くは『脱原発』などのメッセージを記した旗ではなく、団体の旗ばかり目立つ、内向的な、一般の市民が参加し難いものです。日本の市民はデモに慣れていません。まずは「一歩」を踏み出してもらうために、デモは参加し易いものであるべきです。
私たちは9/11、「参加し易いデモ」を目指して京都で「バイバイ原発9.11」を行いました。このデモには写真のように、多くのママ・パパが子どもと一緒に参加して下さったことで、今までとは違ったものになり、「デモ・デビュー」という言葉をあちこちで聞くことができました。このデモは、団体の旗を持ってデモを行って来た方々にも大きな影響を与え、「このままではいけないかもしれない」との言葉を引き出したのです。

10月、ドイツ緑の党の副党首、ベーベル・ヘーン連邦議会議員が来日されました。私は10/14-16の3日間、もんじゅの視察や講演会に同行し、色々とお話を伺うことができました。ヘーンさんは、2人の子どもを持つ母親として原発に反対するデモに参加し、デモの中から政治家となった方です。数年前には州の(日本で言えば東北・中部・近畿などの地方くらいの単位)環境大臣となって、デモで訴えていた政策を実現されました。ヘーン議員に「どのようにしたらデモは広がりますか、効果がありますか」と尋ねたところ、議員の応えはこうでした。
「デモは、カラフルで明るく、多様で、そして何より楽しめるものでなくてはならない。そのために、様々なアイデアを凝らす必要がある」

3.11後、各地で被災地の支援、放射能汚染を防ぐ活動、脱原発まで様々な動きがありました。その中心にいるのは、昔から活動されていた方以外では、子どもを守るために立ち上がったお母さん・お父さんたちです。ママ・パパが親子で参加できる、参加したくなるデモを企画し行うことが、現在のエネシフの動きを広ために最も大切なことです。
京都は1997年にCOP3が開催され、京都議定書が採択された地です。このことをきっかけとして、日本でも欧米のような第三者機関としてのNGONPOが生まれ、発展しました。飯田哲也さんのISEPや、気候ネットワーク、環境市民などはその代表でしょう。しかし、当時の動きは政府も後押ししたものだったため、政治的な動きにはつながりませんでした。
今回の運動は、政府の方針に反対するものです。だからこそ、緑の党のような新しい、市民の政党が生まれ、そしてデモや各地の活動の中から、ヘーン議員のような政治家が生まれ、世の中を変えていく必要があると私は考えています。

最後に会場の方へのメッセージとして。
他の3人の専門家の先生方は、当然この席に座るべき方々です。しかし、私の席は、私個人のものではありません。この会場におられる全ての方が、ここに座る資格と、一種の責任があると私は考えています。私がここに今日座っているのは、私が3.11後に決心し、ほんの少し行動したからに過ぎません。
この席は長谷川羽衣子という個人の席ではなく、皆さんの席です。どうか、次は皆さんが行動し、この席に座って自らの活動を話して下さい。私はそれを、今度は客席に座って聞きたいと思います。それが私の一番の望みです。多くの人が私が今日座った席に座って下されば、世の中は、社会はきっと私たちが望む方向へと変わるでしょう。
本日は、本当にありがとうございました。

2011年12月10日 長谷川羽衣子
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<京都民報>
http://www.kyoto-minpo.net/archives/2011/12/12/post_8371.php
毎日新聞
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20111211ddlk26040345000c.html