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【河北新報/宇宙飛行士は原発難民になった】理想郷、台無しに怒り 秋山豊寛さん「東電に呪いをかける」

被ばくした中山間地 ニッポン開墾(2)理想郷、台無しに怒り
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1090/20120104_02.htm

秋山さんはついのすみかと信じた阿武隈の地を去らざるを得ず、怒りを隠さない。原発事故は田仕事が始まる直前に起き、農機具は放置されたままだ=昨年12月15日、田村市滝根町

秋山豊寛さん=田村市「東電に呪いをかける」

 宇宙飛行士は原発難民になった。

 昨年12月15日、田村市滝根町。元TBS記者の秋山豊寛さん(69)は15年間住んだ自宅で引っ越し作業に追われていた。

 福島第1原発1号機が爆発した3月12日、郡山市のホテルに身を寄せた。5日後、避難先を群馬県藤岡市に変え、友人農家宅に9カ月間居候した。京都市の京都造形芸術大から教授の口がかかり、12月に生活拠点を西日本に移した。しばらくは大学教授兼タケノコ農家見習として暮らす。

 「京都では陰陽道(おんみょうどう)を学ぶ。東京電力とそれに連なるものに呪いをかける。冗談ではない。真剣です」

 滝根の自宅は雑木林に囲まれた山中にある。シイタケ栽培で営農した。原発事故でシイタケ小屋も田畑も放射能に汚された。原発の方向をにらむ。拳に力が入る。

 「原発を取り巻く日本の仕組みは政治も司法も経済も強固。変えられるというのは建前で個人ではどうしようもない。誰かを助けたくても八方ふさがりの時、僕らは祈る。その裏返しが呪いだ」

 安住の地を台無しにされた恨み、怒りは深い。一方で福島の自然には最大級の賛辞をささげる。

 「阿武隈は素晴らしい地だ。豊かで美しい自然林。稲作や山仕事を通じ、日本の暮らしは生態系を守ることと結び付いていることが理解できた」

 知識が蓄積して思索が深化した日々だった。「東京の情報は首から上だけにしか入らない。福島ではものすごい情報量が全身から入った。年収は3分の1以下になったが、こんな豊かで手応えのある暮らしはない」

 地元では「事故後もとどまってほしかった」と言う人がいる。だが、「人生観の問題。これ以上被ばくしたくない。政府の大丈夫キャンペーンには乗らない」と語る。

 「政府は放射性物質が放出されても『ただちに健康に影響はない』と言い続けたが、それはいつか影響が出るかもしれないという意味。憲法が保障する健康で文化的な生活とは、いつ病気になるか分からない環境と共存できる概念ではない」

 阿武隈山地の恵みにあふれた暮らしは100年単位で戻らないとみる。

 記者時代に旧ソ連のロケットで宇宙に飛んだ縁で現地の科学者に知己が多い。チェルノブイリの取材も重ねた。そうした経験から導いた判断だ。第1原発の周辺が国策で居住不能になった以上、国の責任で集団移転を進めるべきだと説く。

 「一番大切なのは子孫の繁栄。人類は移動と開拓を繰り返してきた。阿武隈の農家も北海道や海外に新天地を求めた歴史がある。いざというときに土地を離れるのは珍しいことではない」

 大学では「農」を教える。12月20日の初講義で1年生600人に「農の世界の素晴らしさ、自然や命と向き合う意義を伝えたい」と語り掛けた。

 明治時代以降、日本は近代化の道を走り、常に経済成長を求めた。利益と発展。その欲望の延長線上に都会の繁栄があり、原発があると考える。

 日本人は価値観を転換しなくていいのか。学生から変えていこう。来春には「田んぼの学校」や「畑の学校」を始める。

 基盤は山里の経験。「普通の人がまっとうに働いて安全な物を食べ、自然の恵みを感じて生きる。その意味で東北ほどの理想郷はない。東北の中山間地は開発型の地域振興と決別すべきだ」

 滝根の自宅は所有し続ける。年に数回は様子を見に行く。

 「放射性セシウムが半減する30年後にどうなるかを見届ける。ひ孫の代には、あそこで農業をやる後継ぎが出てくるかもしれない」

<6年前の連載/就農した宇宙飛行士>

 秋山さんは1990年、日本人初の宇宙飛行士として宇宙に飛んだ。東京に象徴される日本の近代化を自給自足の生活から見つめ直そうと95年にTBSを退社し、翌年に就農した。中山間地は日本の自然を守る最前線で、人間本来の自己実現が可能な大切な場所と主張。移住者と受け入れる側の交流、共鳴が山里に活気を生むと説いた。(2006年4月29日付)


2012年01月03日火曜日