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【毎日新聞】「原発難民」となって−−元宇宙飛行士・秋山豊寛さん+【朝日新聞】日本初の宇宙飛行士秋山さん避難先転々 原発事故に怒り

秋山氏は今年4月から京都造形芸術大学教授に着任予定だそうです。

【日本人初の宇宙飛行士となった秋山豊寛氏談】

「私の老後は原発によって破壊されました。今後、自分が『安心して幸せに暮らせる町』を探すにしても、原発リスクを考えなければ、『砂上の楼閣』となってしまうかもしれません」

 そう語るのはTBSの元社員で、日本人初の宇宙飛行士となった秋山豊寛氏(69歳)だ。同局を'95年に早期退職した秋山氏は、福島県田村市に移住。無農薬農業に従事する第二の人生を送っていた。だが、福島第一原発の事故により、県外への避難を余儀なくされた。心ならずも「終の棲家」を追われたショックと怒りは、今も消えることはない。

「まるで、強盗にあって身ぐるみはがれたような気持ちです。国内に54基もの原発を抱えている日本のような国は世界でもまれでしょう。そう考えると、本当の意味で持続可能な幸福を保証する場所は、日本にはないのかもしれません」

 秋山氏は今年4月から京都造形芸術大学教授に着任予定で、新たな生活基盤を手に入れることができたが、不安は尽きない。

「京都は、若狭湾にある原発から60~70kmしか離れておらず、ちょうど福島原発から郡山市福島市までと同じ距離感覚です。私は、原発を拒否する住民が多いところが一番いい場所だと考えていますので、若狭湾原発全廃のために市民が立ち上がれば、京都も幸せな町になるでしょう」

掲載元記事:http://d.hatena.ne.jp/byebyegenpatsukyoto/20120202/1328190463


毎日新聞】「原発難民」となって−−元宇宙飛行士・秋山豊寛さん
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110728ddm013040137000c.html

日本人初の宇宙飛行士として、90年に旧ソ連(現ロシア)のソユーズ宇宙船に搭乗したジャーナリストの秋山豊寛さん(69)。その後、福島県滝根町(現田村市)に移住、有機農業に取り組んでいた。福島第1原発の事故を受けて、今、どこで、どんな思いで過ごしているのか? 訪ねてみた。【大槻英二】

 ◇福島で農業15年、群馬へ/平和な老後、破壊された/経済成長に頼らぬ生き方を

 「こっち、こっち」。待ち合わせ場所のバス停に、長靴をはいて現れた秋山さんは真っ黒に日焼けし、すっかり「農家のオジサン」になっていた。ここは福島県ならぬ群馬県藤岡市の鬼石(おにし)町。そのまま埼玉との県境を流れる神流(かんな)川のほとりにある田んぼに案内された。有機農業に取り組む知人から借りた6畝(せ)(約6アール)の水田。7月の初めに手植えをした。

 「福島では5月20日前後に田植えをしていたけど、なかなか水温が上がらなくてね。ここは稲がどんどん伸びて、びっくりします」。ハウスではアスパラガスやカボチャ、ピーマンなどの野菜も栽培。避難先とはいえ、ようやく「農のある暮らし」を取り戻し、秋山さんもホッと一息という表情だ。

 東京放送(TBS)記者だった秋山さんが、旧ソ連カザフ共和国(現カザフスタン)のバイコヌール宇宙基地からソユーズ宇宙船で宇宙へ飛び立ったのは、90年12月2日のこと。生中継で東京のスタジオからの呼びかけに、「これ、本番ですか?」と聞き返したのが、宇宙からの第一声となった。その後、国際ニュースセンター長となったが「管理職になって、現場を離れるのは耐えられない」と95年に退社。福島・滝根に移り住み、自給自足を目指して有機農業を始めた。現在も月刊誌「自然と人間」に「農のある暮らしから」を連載するなど、執筆活動を続けている。

 滝根では阿武隈山地の標高約600メートルの山里に1ヘクタールの土地を購入。シイタケの原木栽培をはじめ、コメや野菜づくりに取り組んでいた。16年目の今年は、田んぼの一部をレンゲ畑にして、ニホンミツバチを飼って、ハチミツの自給に挑もうと考えていた。そのさなかの東日本大震災だった。

 「福島第1原発は運転開始から40年がたち、僕の計算では今年あたりから廃炉の作業が始まると思っていました。まあ、これが浅はかな考えだったわけですけどね」

 原発から自宅までは約32キロ。震災翌日には、近くの体育館に、第1原発がある大熊町の住民が避難してきた。テレビは「空中からセシウム検出」と報じ、屋外に出ると、以前から持っていた放射線警報器が鳴り始めた。身の危険を感じた秋山さんは、郡山市の宿泊施設に避難、事故が長期化するのを見越して、鬼石町の知人宅に身を寄せた。

 避難から4カ月余。原発から約200キロ離れ、いま何を思うのか?

 「『経済成長がなければ、幸せになれない』という神話、いや、これはイデオロギーですよ。このイデオロギーから脱却しない限りは、今回のこの悲惨な事態の教訓を生かすことができないんじゃないでしょうか」

 60年安保闘争の余韻の中で学生時代を過ごした秋山さんが、一貫して追い続けてきたテーマは「日本の近代化とは、何だったのか?」。農の世界に飛び込んだのも、近代化以前の自給自足の暮らしを追体験したいとの思いから。宇宙ステーション「ミール」から地球を眺めた体験は、環境破壊の進行を前に、自分も行動する時ではないか、との思いを強くしてくれたという。

 日本は戦後、高度成長からバブルへと、常に経済成長を求めて突き進んできた。「80年代には、既に買い替え需要しか望めなくなっていた。ものが行き渡った先では、欲望を刺激するしかありません。だから、必要ではないにもかかわらず、あたかもそれがないと暮らせないようにあおった。IT化もその一環ですよ。誰にとっての幸せなのかの問いかけもないままに、便利だということが呪文になった。便利さとは電化することであり、その延長線上に、エネルギー供給、すなわち原発があるわけです」

 パソコンは60歳のときに手放し、「原発難民」になるまでは携帯電話も持たなかったという。それでは、経済成長に頼らない生き方のヒントは、どんなところにあるのか。

 「農業や漁業など1次産業が軸にしているのは、暮らしですよ。利益や発展を必ずしも求めているわけではなくて、そこで暮らしを維持していけることが基本目標なんです。私もシイタケを栽培しながら、コメや野菜をつくって、それなりに食べていけていたわけです。ナスが一山いくらになったかに一喜一憂するのではなく、ナスがなったからただそれを食べるという暮らし。豊作の年もあれば、不作の年もある。株式会社が農業に参入するというけれど、それは利益が目的であり、そもそも1次産業に単年度決算なんてそぐわないわけです」

 依然、収束のメドが立たない原発事故。秋山さんの滝根の家は30キロ圏外にあり、「自主避難」の身だが、この先どうするつもりなのか。

 「(原子炉建屋に)ふたがされれば戻れるかなとも思っていますけど」。しかし、直接販売で年間100万円の売り上げがあったシイタケは、放射性セシウムなどを吸収しやすいとされることから、当面はあきらめなければならないという。

 「おそらく30年は……。そんなにたったら、俺は白寿(99歳)だよ。セシウムはそれでやっと半減だからね。政府が言うように『ただちに健康に影響を与えるような数値ではない』かもしれないけれど、人様に安全な食べ物です、と言って売れません。風評被害は政治不信そのもの。詳細なデータを公表することもなく、基準値以下ですと言われても、消費者が買わないのは、庶民の知恵ですよ」

 そして、率直な胸中をこうも表現した。

 「平和な老後をおびただしく破壊されました。秋に稲刈りをしたら、わら人形を作り、原子力ムラの人たちの名前を張って、くぎを打ち付けたい思いです」

 それは、福島の人々の怒りでもあるかもしれない。山里で地道に農業を営んできた秋山さんが、人を呪わなければならないとは……。原発事故の業は深い。

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毎日新聞 2011年7月28日 東京朝刊


朝日新聞】日本初の宇宙飛行士秋山さん避難先転々 原発事故に怒り
http://www.asahi.com/national/update/1207/TKY201112070153.html


避難生活を共にした軽トラックと秋山さん=11月28日、群馬県藤岡市鬼石、高橋淳撮影

 元TBS記者で、日本人として初めて宇宙を旅した秋山豊寛さん(69)。16年前から福島県で農業を営んでいたが、東京電力福島第一原発の事故で避難生活を続けている。

 キュッキュッ――。首から下げた放射線警報機が音をたてた。原発から約32キロの田村市内。震災翌日の3月12日、着替えをスーツケースに詰め、軽トラックで家を出てまもなくのことだった。「万一を考えて買っておいた警報機。まさか役立つ日がくるなんて」

 TBSでワシントン支局長などを歴任した秋山さんは1990年、社内プロジェクトで旧ソ連の宇宙船ソユーズに搭乗。宇宙ステーション「ミール」に滞在した。5年後に早期退社。阿武隈山地雄大な自然にほれ込んで移り住み、自給自足の暮らしに飛び込んだ。

 泥の手触りを楽しみながらの田植え。収穫の秋には生きる実感をかみしめる。裏山では収入源となるシイタケを栽培した。「退職金をブチ込んで農地を買い、家を建てたのに。強盗に身ぐるみはがされたようなものだ」と原発事故への怒りをぶつける。